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僕達が出したセレクションは 曖昧なOver pains day

丸山しゅうと私

※この記事はドラマ「3年B組金八先生 第7シリーズ」のネタバレを含むかもしれません。未視聴の方はこの記事を読む暇があったら早急にドラマ本編をご覧になることをお勧めします。


 丸山しゅうとは、3年B組の生徒である。言わずと知れた、八乙女光がかつて演じた役名だ。『Hey! Say! JUMP八乙女光』を知らない人も、「あぁあのしゅうをやってた子」と理解してくれるような、本当にインパクトが強い、当時の彼にとっては強すぎたかもしれない役だ。

 私が彼を知ったのは、恥ずかしながらも本放送から10年以上経った、昨夏のことだった。当時の私は関ジャニ∞村上さんを主食として、つまみ程度に八乙女さんを見る程度であった。TwitterもJUMP関連のフォロワーが増えてきて、段々とその界隈を味わい出したところで、フォロワーから「八乙女担なら金八先生第7シリーズを見ておくべきだ」と薦められたのである。
 私の家族は金八先生のような、いわゆるメジャーなドラマはあまり見ておらず(金八先生どころかごくせん・左目探偵EYE野ブタをプロデュースなどの、もはや一般常識の範囲にされてもおかしくないジャニーズ出演ドラマも)、もちろん第7シリーズも例に漏れず、存在すら知らなかった。八乙女さんはJUMPの中ではどちらかと言うとバラエティ番組での露出の方が多いし、当時見たことがあった八乙女さん出演ドラマが「ドS刑事」しかなく、そのような有名ドラマにかつて出演していたことすら一切知らなかった。
 ちょうどその頃CSチャンネルで再放送が始まるところで(3年B組金八先生(第7シリーズ)|ドラマ・時代劇|TBS CS[TBSチャンネル])、再放送をしているのなら、と薦められるがままに見たのである。

 非常に、えぐかった。

 とてもえぐくて、とても、リアルだったのだ。それはもう、トラウマになるくらいに。圧巻の第19話もさることながら、そこに至るまでのあらゆる描写が、この結末以外への経路を断つ小さな鋏となっていたのだと気づかされる。
 私が八乙女担だからかもしれないが、八乙女光が丸山しゅうを演じることとなった選出理由として、「あらゆる視聴者に庇護欲を湧かせる役者である」というのがあったのではないだろうか。丸山しゅうという役は、視聴者に「あんなに可愛い子がこんなことに…」と思わせなければいけない。タイトル通り、ドラマの主役は教師である坂本金八であり、その生徒である丸山しゅうは「教師から見た生徒」として描かれる。そういう役どころに、(特に幼少時の)彼が持っている、誰もが思わず「可愛い」「守ってあげたい」と思ってしまう無意識に発される魅力が絶妙にマッチしているのだ。
 また物語が急転する、ある意味序章から本編へ切り替わる第7話までのストーリーで、丸山しゅうを「少し変わった家庭でクラスからは少し浮いているが、立派に正義感を持った思春期の男の子」と印象づける。そして第12話で、そこまで抱かせてきた好感を、絶望でぶち壊すのだ。どうしても物語の主題に入ってゆく、インパクトがある第12話以降ばかりをフィーチャーしがちだが、その後半の物語は前半をしっかり土台に敷くことで、より一層絶望の闇が濃くなるのである。これこそが、この物語の真のテーマだ。「こんなにいいヤツだって、覚せい剤でこうなっちゃうんだ」

 そして私は、その彼、丸山しゅうが愛おしくてたまらないのだ。あの可愛らしくて青臭くて、恐ろしく愚かな彼が。なぜあの結末しか選べなかったのか、どこから間違っていたのか、どうして、何度も何度も考えてしまう。その中で最も気になるのがやはり覚せい剤に手を出さなかったらどうなっていたのか」「覚せい剤以外の逃げ道はなかったのか」だ。
 もちろん父親の部屋に覚せい剤の小袋が残ってさえいなければ、彼があれほどまで容易に覚せい剤を用いることなどなかったのであろうが、しかしもしそれがなければ、彼は両親の逮捕を、親友の自殺未遂を、どう処理できていただろうか。健気に看病し続けていた父親そして変わり果てた家庭をなんとか回していた母親を同時に奪われ、親友の自殺未遂が自らの心ない言葉のせいだと知り。それこそ彼自身も自殺してしまってもおかしくなかった。あの瞬間、彼を支えていたものが全て崩れ去ってしまったのだから。そこで、「覚せい剤以外の逃げ道はなかったのか」だ。何か彼にも打ち込める何かがあればよかったのに。ドラマ中にてソーラン節の最後にしゅうがバク宙をすることになるくだりで、しゅうは小学生のころ体操部で活躍していた、ということを康二郎が言っていたのだから(康二郎くんはどうしてそれについて詳しく知っているのかお姉さんもっと知りたいな)、中学生になってもそれを続けることができていればまだよかったかもしれまい。しかし、それすらも難しかったのであろう。
 運動部に所属するということは、少なからず家庭にも負担がかかるのだ。もちろん部費・ユニフォーム代・大会参加費・遠征費などの金銭的な負担に加え、朝練があればその分本人だけでなく親もそれに付き合い、早朝から朝食や弁当の準備をしなければならないだろう。そのような負荷をあの状態の家族にはかけられない、としゅうが考えたのかもしれないし、彼自身は所属したかったがそういった負担ができないと親に断られたのかもしれない。


 しゅうは、物語序盤の家でのシーンで、ほぼ必ずと言っていいほど母親から暴力を振るわれている。その際彼は抵抗しないどころか痛がりもせず、ただただ母親の気が済むまで黙ってされるがままに立っているのである。彼のその姿勢に、私は思わず、私自身を投影していた。
 私は、母親とあまりうまくやっていけていない。とはいえそれは累計の分量で言えば1年の1/10から1/5くらい、あるいはそれより少し多いくらいであり、その期間以外は共通の趣味もあるので会話もあり、それほど酷くはないのかもしれない。しかし、その母親の機嫌がどうしても手に負えない場合に私がする対応がまさにしゅうのそれで、彼に感情移入せざるを得なかったのである。
 不幸自慢をしたいわけではないので自分自身については述べないが、教室に弥生の母親が来ているとき、弥生の母親を見るしゅうの表情、献身的に娘をサポートする彼女に対するしゅうの感情は、苦しいほど分かった。他の家庭の優しい母親など、今更憧れもできない。フィクションのようでリアリティを一切感じられないのだ。どうせ外面保ってるだけでしょ、って思ってしまう。家族モノのドラマ・映画だってそうだ。円満な家庭なんて作り物でしか有り得ないんじゃないか、としか考えられない。そういう思考回路であったからこそ、逆に丸山家の歪さにリアリティを感じたのかもしれない。
 しゅうは母親から日常的に暴力を振るわれていたが、彼は最後まで母親を恨まなかった。優しかった昔の母親を知っていて、いつかその頃のように戻ってくれると信じていたからだ。あり得なかった。理解できなかった。彼は私なんかよりずっと強くて理性的で大人びていたのだ。彼が終始母親を慕っていたからこそ後半の絶望もより濃くなってゆくのだが、あのような仕打ちを受けていながら、母親が彼を虐待して階段から落下し骨折した際にはしゅうが救急車を呼ぼうとしたり、母親に怪我を負わせてしまったことを気に病み相談センターに電話をしたり。母親の過去について知るまでは、全く意味が分からなかった。
 第7シリーズの中心人物は間違いなく丸山しゅうだが、しゅうの母親も同時に非常に丁寧に描写されていると思う。シリーズ全体の主題はもちろん覚せい剤ではあるが、それ以外の、ちょっとした人間関係だとか不完全でうまくいかないやり取りだとか、そういった主軸以外のパーツも非常によく作り込まれていて、そこがあのドラマの世界観のリアルを引き出しているのかもしれない。

 シリーズを全て見た感想として一番強く抱いた感情が、「悔しさ」だった。もちろん丸山しゅうがあのような末路を辿らざるを得なかったことに関しても悔しかったが、丸山しゅうと私を比べ、彼にすら及ばない己の幼稚さと小心さに気付いて悔しかったし、彼と似たような部分にも気付いて悔しかった。「彼はこうなったけど、お前はどうなんだ」と聞かれているようだった。この問いを真摯に受け止め、私の十代の締め括りとしたい。