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ThinkLog

僕達が出したセレクションは 曖昧なOver pains day

【エイタメネタバレ】ナスの死にわだかまりが残るのはなぜか

クソ新規の勝手な脳内メモなんですけども。

今回関ジャニ'sエイターテインメントのレンジャーコーナーの展開について、割と序盤にナスがあっけなく死ぬんですけど、それについて結構批判的な意見が多くて、なんでだろなーって考えてました。
私自身はそれほど見ててつらくはなくて、昨夏のリサイタルのレンジャーでのナスの死を踏襲した天丼だなーと分かったのでまたかーいって感じでした。
でもリサイタルのときはそんなに意見が出てなくてエイタメで出てきたのは何かが違うんだろーなっていうのとかを色々考えてみただけのメモです。
「何にモヤモヤしてるんだろう」っていう原因をはっきりさせてすっきりしたいので。

考えられる要因

自担が死ぬと悲しい

当たり前か。これで喜べるとちょっと変わった性癖をお持ちな可能性が高い。
→リサイタルはどうだったのか?という疑問が残る

死ぬまでの見せ場があまりに少なかった

これはわかる、かつリサイタルとは明らかに違う点。
確かに初っ端に死ぬのでエイタメのは死に方あんまりにもあっけなすぎない?という感じはあった。

死んだ時の演出がなおざりだった

これもリサイタルのと違う点。リサイタルでは死んだと分かった時の周りのボケ倒し、担ぎ上げて退場(ここの演出とBGMはANOTHERのオマージュだったのでは)、その後夜空ノムコウで村上さんの幼少期〜のお写真のスライドショー…と、今となってはかなり処遇の良い(?)死に方だったのではないか。
それと比べるとエイタメのナスの死は、死んだ後はオレンジと水槽と共にメインステージのせりを下げて退場…で片付けられてしまったから、確かにあっけないっていうか、味気ないというか。

結局ナスは生き返らなかった

これはある!!リサイタルもエイタメも、結局ナス生き返らなかったんですよね!!!つらい…
特にエイタメの方、あの死に方は絶対生き返るじゃん!?っていう期待かけてたんですけどね…(いや確かにゾンビとして帰ってきましたけど……)。
リサイタルもエイタメも、ナスの死→KINGとして復活、っていう流れでしたけど、いえ、
ナスレンジャー ≠ KING ですけども???
はて?????

という宗派なんで、ここは私も正直言ってどうにかならんのかなぁとは思いました。


こんな感じかなぁ、思いついた要因は。
私の思考が及ばないだけで他にもあるかもだけど。

以下私の感想

こっから下は個人的な感想のメモ。

そもそも私自身は死ネタ?好きなんですよね。レンジャーのこれは死なのかよく分からないけど。基本すぐ生き返るし。
私はど新規だから実際見たことあるレンジャーは十祭以降、円盤で確認したのも47のやつだけだから、レンジャーのシナリオ傾向については全然分析できないけども。当時参戦された方のレポブログとかを読む限り、08年のレンジャーは見てみたかったな……。
物語でキャラが死ぬとき、その瞬間、その回は、その場面の主軸がそのキャラの死になるので、またとない見せ場なわけなんですよ。
あとほんと、可愛い子には命のやり取りさせたくなるのがオタクの性!殺る側も殺られる側もオタ的にはバッチこいな感じです。何の話だっけか。
だからまぁナスが物語上ちょっと死にやすいのはむしろ美味しいな〜ありがたいな〜〜なんて考えちゃうようなオタクです私は。

というか、今回のエイタメのレンジャー、ナスの死に方があっけなさすぎた以前に尺足りないのかなって感じがした。実際巻いてたとかじゃなくて、演者から巻いてる空気が出てたというか…。急がなきゃっていう雰囲気あったのは気になってました。
レンジャー全体のストーリー的にもどうもオチ不足な気がしてて、私はむしろそっちにモヤモヤしてました。個々の演目はすごく良くてエンターテインメントだなー!って感じだったんですけども、どうもそれらを繋げるストーリー部分が物足りなくて。オレンジの変面、私は席的にこれだけは正面から見えたので、なかなか圧巻でした。
あとナスがゾンビになってわーって出てきたあと、布引っ張られるとヒュッって消えるマジック、ほんとすごかった………少し冷静になればトリック分かっちゃうけどそうじゃないの、エンターテインメントなんだから敢えてタネなんて分からないフリして全力で化かされに行く方が楽しいのよ……。
我ながらきもちわるいオタクの自覚あるんですけど、自担はゾンビになっても愛おしいってことが分かりました。ナスゾンビなら殺されてもいいわ……ちょっと理性が足りなくて行動力だけはあるオタクだったら「殺して♡」うちわとか作ってもおかしくなかった…やめてね自分……。

あ、万が一ここまで読んで頂けた方の中に過去のレンジャーに詳しい方がいらっしゃれば教えて頂きたいんですけど、ナスレンジャーってツッコミあんまりしなくないですか?私が見たことある最近のものではほとんどしているところを見かけないのですが。




おしまい! \\デーデン!!(レンジャーのオチがつく音)//

村上担的ベストマガジンアワード2016

2016年も残すところわずかとなって参りました。
今年を締めくくる前に、この村上信五を見ずに2016年は終われない!というような、超個人的!2016年ベストマガジンを挙げたいと思います!!


TVガイドPERSON VOL.48

村上信五の流儀
「芸能人・村上信五としてだけでなく、一人の人間・村上信五としても、成長していきたい」

TVガイドPERSON VOL.48|TOKYO NEWS マガジン&ムック
(インタビュー部分)写真:五十嵐瑛仁 インタビュー:宮浦彰子
(収録現場密着部分)写真:京介 インタビュー:宮浦彰子


取材メインは「村上信五とスポーツの神様たち」。
まず表紙の村上くんがかっこいい。素晴らしい。でもだ。表紙で充分にときめかせておいて、さぁ意を決して表紙をめくる。目次。めくる。ドン。

ドン!!!!!

マジか!!!!!

なんだこのイケメンは!?!?!?

目次ページを捲った目線そのままで網膜に殴り込んでくる、記事2ページ目の正面お顔どアップショット。うわ〜〜!!!アイドルゥ〜〜!!!!!こんなん下手したらうちわより写り良くない!?!?イケメン〜〜〜!!!!!!
なかなか正々堂々真正面という写真は雑誌には載りにくいように思うので、存分に心ゆくまでじっっくりと村上くんのお顔を観察することができます。しかもその右ページは横顔のお写真!!なんとまぁ抜かりない!!!

そしてインタビューが9000字!文字主体ページがたっぷり5ページも。最初の2ページが主に「〜神様たち」について。インタビュー全体を通して何より素晴らしいのが、村上くんのインタビュー文言が、全て読んでいて彼の声が浮かぶような、心地よいテンポの対話なんです。9000字というゆとりある尺であるからこその、余裕ある話題の回し方。きっとそれはインタビュアーにも、村上くんにも、余裕を持たせてくれて、その結果として『濃密な』インタビュー記事として仕上がってくれたのではないかと思わされます。

またインタビュー最終ページの次のページのお写真、村上くんのお顔の素晴らしさと共に手から腕の造形の美も鑑賞できます。

しかもこれ、前号の47号(表紙:横山裕)と並べるとあらびっくり!!表紙が!!お揃い!!
ヨコヒナ!!!
なんて粋なのTVガイドPERSON!!!
発売当時は2号並べて販売している書店もあったのだとか。なんともオタク心くすぐります。

東京ニュース通信社の通販(冒頭リンク)にはまだ在庫があるので興味が湧いた方はそこからご購入下さい。私には1銭も入りませんがただただ美しい村上信五に酔うことができます。


TVガイド 2016年10/14号

知らなきゃヤバイぞ! TAKATSU-KING

TVガイド 2016年10月14日号|TOKYO NEWS マガジン&ムック
写真:小林ばく インタビュー:宮浦彰子


「え、村上担的〜なのにノミネート?」とかいう大人なリアクションはいりません。KING嫌いとか言ってる場合じゃねーぞ!!むしろ私も今までぶっちゃけ好きー!とは言えなかった!!でもな!?!?

お前この表紙のつぶらな瞳見て同じこと言えんの???

今までTAKATSU-KINGに対して抱いていた、モヤモヤとか複雑な気持ちとかそういうのを爆速で吹き飛ばしてしまうくらいの、圧倒的で絶対的なビジュアルの良さ!!!!美は暴力だ!!!!!
しかし写真家が小林ばく氏と見て納得。いつもありがとうございます!!!!!

彼はとにかく、サングラスを下にずらしてウインクをする、この角度がとても魅力的なんです。何ともあざとい。あざといと分かっているのですが、その見事すぎるあざとさに降伏以外の選択肢を奪われてしまいます。この彼の操る魔術に、操られているのだなと理解しながら自らこの身を差し出したくなってしまうのです。

インタビューに関しては、今まで楽曲から思い描く他なかったTAKATSU-KING像について、本人の口から初めて語られています。取材日の前日に食べたお弁当のうなぎの小骨が喉に刺さっていたそうですが、それは大丈夫だったんでしょうかね……??


ザテレビジョンCOLORS vol.20 VIVID

村上信五に恋する、鮮やかな日常。
「しんどいくらいがちょうどいい」

写真:桑島智輝 インタビュー:武市尚子


村上信五に恋する!!!鮮やかな日常!!!!!

こ、恋する……!?!?!?

恋……………………いいの……?????

基本的に村上さんの印象として三枚目キャラが世間に浸透していることから、リア恋が許されない、いや、真面目にかっこいいと賞賛すると少し笑われる…くらいの処遇に慣れている中、まさかの、『村上信五に恋する』というこの堂々たるフレーズ!!!そんなもう、既に毎日が鮮やかに決まってるじゃないですか!!!!!

まずこの表紙の村上くん、何っとも、おひさまの光に今にも溶けてしまいそうなほどに、ぽやっぽやしています。え!こんな極上ぽやひなちゃん、表紙にしちゃっていいの!?!?
表紙を捲って返したところにもまた村上くん。めっっちゃカワイイ。後ろのワニには突っ込まない。カワイイ。

前編の陽だまりのひなちゃんパートのお衣装が裸足なんですけどこの足が綺麗なんですよ!!そしてペラペラページを進めていくと出てくる見開きでの村上くんの寝顔!!寝顔!!!!!!わあぁぁまつげ綺麗!!!!!すごい!!!!贅沢!!!!こりゃあ恋くらいしますよ!!!!!!
そして寝顔を抜けるとなんと子猫とのツーショットたち!!!子猫とひなちゃんなんてもうそんな!!!何というカワイイとカワイイの相乗効果!!!!!ちょっとひなちゃん子猫とにらめっこしないで!!!!!死人が増える!!!!!村上くんのもとにチーちゃんが来たときを思い出しますね…

インタビューは前半が日常とイフオアのこと、後半が自分自身のことについて。インタビュー前半と後半の間に一度写真ページを挟むのですがいやちょっと。ちょっと。前半キュートな村上くんで和ませておいてからのここでの突然のスーツ!!?!?!!?!?殺す気か!!?!?!!?!?いやあからさまにこれは殺す気で来てるな!!?!?いいぞその心意気!!!!!!




以上となります!
村上くんがソロ巻頭表紙の雑誌が3冊もあったんですよ!!!すごい!!!!!雑誌オタクとしては、これほどの幸せはありません。
来年もまたたくさんの雑誌の表紙を飾って頂きたいものです。期待しております。

丸山しゅうと私

※この記事はドラマ「3年B組金八先生 第7シリーズ」のネタバレを含むかもしれません。未視聴の方はこの記事を読む暇があったら早急にドラマ本編をご覧になることをお勧めします。


 丸山しゅうとは、3年B組の生徒である。言わずと知れた、八乙女光がかつて演じた役名だ。『Hey! Say! JUMP八乙女光』を知らない人も、「あぁあのしゅうをやってた子」と理解してくれるような、本当にインパクトが強い、当時の彼にとっては強すぎたかもしれない役だ。

 私が彼を知ったのは、恥ずかしながらも本放送から10年以上経った、昨夏のことだった。当時の私は関ジャニ∞村上さんを主食として、つまみ程度に八乙女さんを見る程度であった。TwitterもJUMP関連のフォロワーが増えてきて、段々とその界隈を味わい出したところで、フォロワーから「八乙女担なら金八先生第7シリーズを見ておくべきだ」と薦められたのである。
 私の家族は金八先生のような、いわゆるメジャーなドラマはあまり見ておらず(金八先生どころかごくせん・左目探偵EYE野ブタをプロデュースなどの、もはや一般常識の範囲にされてもおかしくないジャニーズ出演ドラマも)、もちろん第7シリーズも例に漏れず、存在すら知らなかった。八乙女さんはJUMPの中ではどちらかと言うとバラエティ番組での露出の方が多いし、当時見たことがあった八乙女さん出演ドラマが「ドS刑事」しかなく、そのような有名ドラマにかつて出演していたことすら一切知らなかった。
 ちょうどその頃CSチャンネルで再放送が始まるところで(3年B組金八先生(第7シリーズ)|ドラマ・時代劇|TBS CS[TBSチャンネル])、再放送をしているのなら、と薦められるがままに見たのである。

 非常に、えぐかった。

 とてもえぐくて、とても、リアルだったのだ。それはもう、トラウマになるくらいに。圧巻の第19話もさることながら、そこに至るまでのあらゆる描写が、この結末以外への経路を断つ小さな鋏となっていたのだと気づかされる。
 私が八乙女担だからかもしれないが、八乙女光が丸山しゅうを演じることとなった選出理由として、「あらゆる視聴者に庇護欲を湧かせる役者である」というのがあったのではないだろうか。丸山しゅうという役は、視聴者に「あんなに可愛い子がこんなことに…」と思わせなければいけない。タイトル通り、ドラマの主役は教師である坂本金八であり、その生徒である丸山しゅうは「教師から見た生徒」として描かれる。そういう役どころに、(特に幼少時の)彼が持っている、誰もが思わず「可愛い」「守ってあげたい」と思ってしまう無意識に発される魅力が絶妙にマッチしているのだ。
 また物語が急転する、ある意味序章から本編へ切り替わる第7話までのストーリーで、丸山しゅうを「少し変わった家庭でクラスからは少し浮いているが、立派に正義感を持った思春期の男の子」と印象づける。そして第12話で、そこまで抱かせてきた好感を、絶望でぶち壊すのだ。どうしても物語の主題に入ってゆく、インパクトがある第12話以降ばかりをフィーチャーしがちだが、その後半の物語は前半をしっかり土台に敷くことで、より一層絶望の闇が濃くなるのである。これこそが、この物語の真のテーマだ。「こんなにいいヤツだって、覚せい剤でこうなっちゃうんだ」

 そして私は、その彼、丸山しゅうが愛おしくてたまらないのだ。あの可愛らしくて青臭くて、恐ろしく愚かな彼が。なぜあの結末しか選べなかったのか、どこから間違っていたのか、どうして、何度も何度も考えてしまう。その中で最も気になるのがやはり覚せい剤に手を出さなかったらどうなっていたのか」「覚せい剤以外の逃げ道はなかったのか」だ。
 もちろん父親の部屋に覚せい剤の小袋が残ってさえいなければ、彼があれほどまで容易に覚せい剤を用いることなどなかったのであろうが、しかしもしそれがなければ、彼は両親の逮捕を、親友の自殺未遂を、どう処理できていただろうか。健気に看病し続けていた父親そして変わり果てた家庭をなんとか回していた母親を同時に奪われ、親友の自殺未遂が自らの心ない言葉のせいだと知り。それこそ彼自身も自殺してしまってもおかしくなかった。あの瞬間、彼を支えていたものが全て崩れ去ってしまったのだから。そこで、「覚せい剤以外の逃げ道はなかったのか」だ。何か彼にも打ち込める何かがあればよかったのに。ドラマ中にてソーラン節の最後にしゅうがバク宙をすることになるくだりで、しゅうは小学生のころ体操部で活躍していた、ということを康二郎が言っていたのだから(康二郎くんはどうしてそれについて詳しく知っているのかお姉さんもっと知りたいな)、中学生になってもそれを続けることができていればまだよかったかもしれまい。しかし、それすらも難しかったのであろう。
 運動部に所属するということは、少なからず家庭にも負担がかかるのだ。もちろん部費・ユニフォーム代・大会参加費・遠征費などの金銭的な負担に加え、朝練があればその分本人だけでなく親もそれに付き合い、早朝から朝食や弁当の準備をしなければならないだろう。そのような負荷をあの状態の家族にはかけられない、としゅうが考えたのかもしれないし、彼自身は所属したかったがそういった負担ができないと親に断られたのかもしれない。


 しゅうは、物語序盤の家でのシーンで、ほぼ必ずと言っていいほど母親から暴力を振るわれている。その際彼は抵抗しないどころか痛がりもせず、ただただ母親の気が済むまで黙ってされるがままに立っているのである。彼のその姿勢に、私は思わず、私自身を投影していた。
 私は、母親とあまりうまくやっていけていない。とはいえそれは累計の分量で言えば1年の1/10から1/5くらい、あるいはそれより少し多いくらいであり、その期間以外は共通の趣味もあるので会話もあり、それほど酷くはないのかもしれない。しかし、その母親の機嫌がどうしても手に負えない場合に私がする対応がまさにしゅうのそれで、彼に感情移入せざるを得なかったのである。
 不幸自慢をしたいわけではないので自分自身については述べないが、教室に弥生の母親が来ているとき、弥生の母親を見るしゅうの表情、献身的に娘をサポートする彼女に対するしゅうの感情は、苦しいほど分かった。他の家庭の優しい母親など、今更憧れもできない。フィクションのようでリアリティを一切感じられないのだ。どうせ外面保ってるだけでしょ、って思ってしまう。家族モノのドラマ・映画だってそうだ。円満な家庭なんて作り物でしか有り得ないんじゃないか、としか考えられない。そういう思考回路であったからこそ、逆に丸山家の歪さにリアリティを感じたのかもしれない。
 しゅうは母親から日常的に暴力を振るわれていたが、彼は最後まで母親を恨まなかった。優しかった昔の母親を知っていて、いつかその頃のように戻ってくれると信じていたからだ。あり得なかった。理解できなかった。彼は私なんかよりずっと強くて理性的で大人びていたのだ。彼が終始母親を慕っていたからこそ後半の絶望もより濃くなってゆくのだが、あのような仕打ちを受けていながら、母親が彼を虐待して階段から落下し骨折した際にはしゅうが救急車を呼ぼうとしたり、母親に怪我を負わせてしまったことを気に病み相談センターに電話をしたり。母親の過去について知るまでは、全く意味が分からなかった。
 第7シリーズの中心人物は間違いなく丸山しゅうだが、しゅうの母親も同時に非常に丁寧に描写されていると思う。シリーズ全体の主題はもちろん覚せい剤ではあるが、それ以外の、ちょっとした人間関係だとか不完全でうまくいかないやり取りだとか、そういった主軸以外のパーツも非常によく作り込まれていて、そこがあのドラマの世界観のリアルを引き出しているのかもしれない。

 シリーズを全て見た感想として一番強く抱いた感情が、「悔しさ」だった。もちろん丸山しゅうがあのような末路を辿らざるを得なかったことに関しても悔しかったが、丸山しゅうと私を比べ、彼にすら及ばない己の幼稚さと小心さに気付いて悔しかったし、彼と似たような部分にも気付いて悔しかった。「彼はこうなったけど、お前はどうなんだ」と聞かれているようだった。この問いを真摯に受け止め、私の十代の締め括りとしたい。