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なぜ安兵衛さんは平成の世に馴染めたのか―映画「ちょんまげぷりん」を見た件

先日、CATVにて錦戸亮主演映画「ちょんまげぷりん」の再放送をしておりました。同じく錦戸亮主演テレビ朝日系ドラマ「サムライせんせい」つながりかと思われます。
私は噂にこそ聞いておりましたが実際に映画を見たことがなかったので良いタイミングに見ることができました。
ビジュアルは見たことがあったうえ、ここ数ヵ月侍姿の錦戸さんを見てきていたので、安兵衛さんの見た目についての違和感はそれほど感じることなくすんなりとストーリーに入ることができました。
強いて言えば、演技や姿に現在よりもうっすらと若さがにじんでいたところでしょうか。

安兵衛さんは江戸時代からやってきたちょんまげ姿の武士。安兵衛さんが現代にやってきてお世話になるのが、母子家庭の遊佐親子。「男が外で働き、女は家の仕事をする」という安兵衛さんと、「子供ができてもバリバリ働きたい」というひろ子、このドラマの主題である「家族」「社会」というものに対する捉え方が正反対な人たちとして描かれています。
しかしこの「ちょんまげぷりん」、なぜ正反対の考え方をしている2人は大きく衝突することなく馴染んだのか。それは、安兵衛さんは仕事を外の仕事(お勤め)と家事(内向き)に分けたものの、それを男・女という性別に依るものとしなかったからなのだと思います。
人間、いかに現代のテクノロジーを駆使しても、外のお仕事と家事、更には子育てを、全て1人で回していくというのは、やはり体力的にも時間的にも無理があるのです。しかしだからといって、女が家事をしなければならないという決めつけはないはずなのです。そこで安兵衛さんは自らが内向きの仕事に専念し、ひろ子はお勤めに専念してもらおうとしたのです(この流れに予定調和を感じてしまった方もいらっしゃるかもしれません)。この発想にさらりと辿り着くことができることが、安兵衛さんの凄いところではないでしょうか。
そして安兵衛さんは自らの菓子作りの腕を活かしてパティシエになり、自分の夢を得た反面、遊佐家の家事をこなし友也と過ごす時間を失ったのです。
この映画の主題というのもここにあるのだと思いました。「1人で何でもかんでもやるのは無理なのだ」と。現代人は欲張りすぎなのかもしれません。何かを捨てないと何かを得られないということを、変化してゆく時代の中で、私たちは忘れかけていたのかもしれません。